全体主義とはモッブの権力掌握のこと

全体主義とはモッブの権力掌握のことである】
 アーレントの『全体主義の起源』第二部帝国主義の冒頭で、彼女は言う。全体主義の権力掌握とは、独裁者にあるのではなく、力をもったモッブ(群集)が、独裁者を通してブルジョアジーをはじめとするあらゆる権力階級を放逐してしまうことである、と。これは言い得て妙。かつて日本の歴史家である吉見義明が「草の根ファシズム」というキャッチーなネーミングをつけてなるほどと思ったが、アーレントの主張を受けて、俺達はそれをすすめて、日本の戦前の軍国主義を真に(あるいは積極的に)支えていたのは(自分の社会の行く末を自ら責任をとることなく政治権力に委ねた)民衆そのものであると、言うことができる。だからこそ、敗戦後に何がおこったのか、空疎な一億総懺悔で、天皇を免責にして、そしてその後にきたのは、民衆は軍国主義体制の犠牲者だという主張が可能になる。だが、それは真っ赤な嘘なのかもしれない。軍国主義を止められなかったのは、天皇でもブルジョアジーでも、軍部そのものでもなく、それらの良心的な部分を追いやり、衆愚を体現した日本の民衆=国民なのかも知れない。だから、日本には、吉見以上のもっと、自分たちの歴史的責任を一切引き受けると同時に自ら糾弾するような、ダニエル・ゴールドハーゲン(Daniel Goldhagen, 1959-)が必要なのかもしれない。きつい劇薬かもしれないが、今の安倍政権のような常軌を逸した狂気=凶気を、実力で倒すには、もはや、自らの権力の意志を確認しないかぎり、地獄はこれからも続くはずだ。