暗殺者と枢密院議長

【暗殺者と枢密院議長】
 安重根伊藤博文、下記のウィキの記述を読むかぎり、ほとんど歌舞伎の台本のような記述になっている。文芸解釈。【引用者の加筆です】
安重根は拳銃を発砲。全7発を乱射し【自動式拳銃?暗殺目的なので乱射ではない】その内の銃弾4発が伊藤に向けられ3発が命中。近くにいた実業家室田義文、秘書官森泰二郎、哈爾濱総領事の川上俊彦、満鉄総裁の中村是公、同理事の田中清次郎をもそれぞれ負傷させた【乱射なら標的以外は「負傷した」と表現すべき】。襲撃では何発が発砲されたか、狙撃手は1人か複数かには異説がある【だからリボルバーだったら複数に決まっているやん】。/伊藤は胸・腹部に被弾して「三発貰った、誰だ」と言って倒れ【さすが長州藩士当時68歳】、しばらく意識があったが、約30分後に死亡した。狙撃後、安重根はロシア語で「コレヤ! ウラー!(Корея! Ура!)」(韓国万歳)と大声で叫び【安はロシアで抗日運動ないしは暗殺を準備した】、逃げもせず【暗殺という政治目的を達成したからだろう】にその場でロシア官憲に逮捕された。/ロシア官憲は背後関係を調べて20名余を尋問し、8名を新たに拘束。安重根は2日間拘留された後、彼らとともに旅順の日本の司法当局に引き渡された。留置中に伊藤の死亡を知った際、安は暗殺成功を神に感謝して十字を切り【アメリカ人宣教師から洗礼をうけたカソリック教徒】「私は敢えて重大な犯罪【世俗的な犯罪ではなく「宗教的罪を犯す」ことを含意した可能性大】を犯すことにしました。私は自分の人生を我が祖国に捧げました。これは気高き愛国者としての行動です」【暗殺=犯罪の認識と政治的テロ行為の自覚】と述べたという」【出典:アンジュングン http://bit.ly/19RYly5
【政治目的で人を殺めることは正義なのか?】
こういう喩えを言うととすべての人が不快になるだろうが、榛名山で捕まった連合赤軍の連中は(その行為の質は残虐なカルトのリンチ以外の何ものでもないが)公判で、内乱罪で訴追されることを望んだという。ブルジョア法体系を完全に否定して国家秩序に抗したあげく、無意味な残虐行為に走り、捕縛された後に「内乱罪で処罰してください」というなんという恥知らずな連中なのだ――殺した「同志への慰撫の言葉」すらない極悪の陳腐さを感じざるを得ない。政治目的で人を殺めることは正義なのか?――僕は正義ではないと思うし、それを(超法規的状況においても)正当化できる論理が見つからない。ソーダーバーグ監督の『チェ 28歳の革命』で唯一、僕が承服できない―むしろ〈嫌な気分〉にさせる―のは住民の女を強姦し盗みを働いた極悪を絵に書いた男の「処刑」の部分なのだ。
【法廷で被告に対して「死刑で罪を償え」ということは「お前には死んで欲しい」と言う事と同じか?】
被害者の父母や夫のヒステリックな叫びで、さっさと死刑にされた凶暴な「精神障害者」や、(人権派弁護士集団によって裁判ゲームの王子様にされようとしている)幼稚な「(元)少年の殺人者」被告。法廷で被告に対して「死刑で罪を償え」ということは「お前には死んで欲しい」と言う事と同じか?
【処刑したくても(誰が?)処刑できない犯罪人の存在】
殉教者になるのではないかという「危険性」を危惧して飼い殺しにされるがままにされる松本智津夫死刑囚。人民の暴力行使を抑止する国家が、殺人者と同じレベルで死刑という合法的殺人を行使するという「対称的関係」にある限り、この国の国民の人権意識レベルも、民主主義国家における暴力の管理に関する議論は、低レベルのままだろう。秘密保護法に関する議論の前におこなうべきことが多々あるのに、まったくレベルの低いことだ。フーコーは生き長らえらせる権力とは、よく言ったものだ。生殺与奪という朗らかな恣意性の行使(→プリモレーヴィー)よりも、生き長らえらせる権力とはまったく「奇妙」なものなのだ。嗚呼。