真のプロ・ライフ派のために

【胎児あるいは胚を選別するための値段の決定メカニズムについて】
あるいは【真のプロ・ライフ派のために〜♪ 】
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 いまどきの妊婦は20万円ほどの出生前診断という話を聞いたけど本当か?――との問い合わせがあった。非常に親しい方だったので僕はその方にこう答えた。
「今日日は、未来のつまり可能態としての障害児を排除しようとするから、その診断(=未来の予言ないしは託宣)への投資に見合った額と考えるのだろうと返事した。もちろん、その「価格の妥当性」については、僕は自信がない。需要と供給の関係で決まるが、これは医学の業界のカルテルでは決まらず、遺伝子検査企業の価格と精度に依存するからだ。
 もちろんこの論理は、真の意味でのプロライフ(pro-life)派の存在しない、そして早期の妊娠を自由に中止する(=堕胎ということだが)妊娠のネオリベラル社会の我々だからこそ言えることだろう。すなわち信仰や場所によれば、そのような想像すら邪悪なものとみなす――つまり障害児【にも】生きる権利があるという思想すら汚らわしく、むしろ障害者【だからこそ】健常者よりも手厚く特権的にそして喜んでケアさせていただかなくてはならないと考えるのだ――世界もあるからだ。僕たちの社会は、残念ながら、そんなぶっとんた社会ではない。俺達の認知症コミュニケーションの授業では、主宰者のN氏は「歳喰ったら認知症になってケアされたい!そういう社会が到来するまで、この授業は続ける」とおっしゃるが、そのようなユートピアを想像する「ちから」を日本の医療・看護・福祉の教育担当者は持ちえているのか?と自問したくなる。