いじめの克服について

【いじめの克服について】
 いじめがなくならない原因について考えてみましょう。それは、学校教育のなかに【全員参加】の強制というサブカルチャーが根強くあるからではないでしょうか?【全員参加】は美徳でしょうか?それともおぞましい暴力でしょうか?人によってさまざまだと思いますが、私はこと、いじめ概念を形成するのにこの日本人が好きな【全員参加】というものが病根にあるのではないかと危惧します。
 ちょうど飯塚浩二『日本の軍隊』批判のように、システムがそこに参与する人のエートスを決定するとみます(デュルケームの発想でもありますけど)。
 そうすると、それを克服するのにはどうすればよいか?根本的な解決策はシステムを改変することですが、個々のエートス形成にアプローチする方法もあります――ちょっと金八先生風ですけど。
 【全員参加だっ!】ではなく【君がいないと始まらないし、みんなが楽しくないよ】という発想が必要なのではないでしょうか?
 これは、いぢめで「オマエがいなくなれ」という特定の固有の存在を徴づけ排除するという思考の真逆の思考をとるわけです。
 つまり個は全体であり、全体は個であるというようなスピノザにヒントを得たような発想ですね。
 だから、いじめの克服の問題を考えるためにも、さまざまな、社会理論は、僕たちのアプローチを難しくしているのではなく、すでに、ある種の解放についてのヒントを(ちょっと難しい原理的な形で)呈示してくれているのです。