健康格差と正義の読み方

Is Inequality Bad for Our Health?
Daniels, Norman Kennedy, Bruce Kawachi, Ichiro 2000/10 Beacon PR KCN:1006260474 <Pap>
『健康格差と正義―公衆衛生に挑むロ−ルズ哲学』(原書)
この書物は、みなさん御存知のマイケル・サンデルさんの議論を思い出しながら読まねばなりません。サンデルはロールズの正義論で理解されている人間観の前提に「負荷なき自己(unencumered self)」というものを用意しているのだという批判をおこない、コミュニタリアンとしての名声を博しました。ロールズの人間観に、既存のあらゆる社会的紐帯から自由になり、自律的に態度を決定できる人間というのがデフォルトだと言うのです。伝統的な公衆衛生学には、このような人間観はありませんし、また公衆衛生政策も、個人の健康への配慮が、このような自律的な人間に呼びかけるというものもありません。もちろん社会防衛論――集団の健康のために個々の病人をスクリーニングする――という歴史的瑕疵も乗り越えてきて今日のような学問と政策のスタイルをとるようになりました。
 したがって、ロールズ流の正義を単純に公衆衛生学に外挿する必要はありません。彼らが問題にしたのは、より焦点化されており、健康格差の「理由」とその解消のために、ロールズの正義論が使えるのかという点にあります。したがって、この著者たちの立論を批判的に読解するには、サンデル流の考え方をぶつけてみて、彼らの主張がきちんと通るかどうかを議論しなければなりません。
 この書の別の寸評者は原著と翻訳の間の10年のギャップを「日本が遅れている」と評していますが、完全なミスリードだし、間違った苦情です。こういう浅薄な進歩主義者って理系教員に多い手合いなんですが、健康格差(HD)論が、どのような歴史的背景と公衆衛生理論から生まれたことがわかっていないから、社会における経済現象が絡まった健康の進化を単線的にしか捉えることができないのです。医療人類学や医学史(特に公衆衛生史)を学ばないとこんなレベルの低い書評が今後も量産されるだろうと思います。そのためにもサンデル先生の議論に親しんでいる日本の若い読者は、彼だったらこの本にどんな風に反論するだろうかという観点から、読み進めればよいのです。その意味では、不思議なことに、原著をめぐる真の議論は始まったばかりですし、現地からみると10年遅れている類いのものではなく、常にリアルタイムなものだということがわかるはずです。