「ぼくさえ生まれてこなければ(よかった)」というワードについて

■「ぼくさえ生まれてこなければ(よかった)」というワードについて
 本人(=ぼく)の立場からいえば自分の存在を否定する矛盾した表現だし、この表現が、例えば「ぼく」の親などに向けられた(かつその当の親が子供を溺愛していたら)としたら、まさに殺し文句で、またさらに、その両方の立場に感情移入できる第三者は、さまざまな感情をかきむしられてしまいます。このような発話を児童が「自発的に」創作することはなかなか考えられず、周囲の大人から「教唆」されて、このような言葉を覚えるのです。めげている人から、こんな言葉を聞いてびっくりしたことがあるでしょう?。相談を受け取った人は「じゃあ死んで」とは言えません。本人からのレスキューのサインだと解釈するのが、常識的な対処です。もちろん文学なら(価値判断において)最低レベルの修辞です。一杯のかけそばのように、人々に憐憫の情を掻き立てるマジックワードです。それゆえ、自己啓発セミナーな宗教・疑似宗教カルトは、このようなマジックワードによる言説戦略を常套手段として弄します。素直に喜ぶことも悲しむこともなく、言語実践がある種の情動経験のスイッチを入れてしまう事例として、大切に覚えておきましょう。