on apotheosis of Arthur Kleinman

アーサー(Kleinman)とジョーと一緒に石切神社にいって、その後、今宮戎があったので、お正月すぎだったのか?たぶん1982,3年ごろ。
でも、その後の彼への神格化(apotheosis)は、あれでよかったのかな? 最近読むのは「病いの語り」を絶賛する論文の引用なのだが、当事者と傍観者(=病者と治療者)の間には絶対的な差異があるのに、語りのブリッジによって共感が生まれると、無反省に信じる馬鹿には「ちゃんと読めよ」と言いたくなる。共感・無視・反発・無関心などすべて平等に偶発的に現れるのはずだ。むしろ、偶発的な共感が post hoc に両者に「必然」として感じられるのはなぜかということなのに。だからアーサーは、人間諸科学の総合を『文化の文脈における…』(邦訳:臨床人類学)力づよく説いたはずなのに、その後の読者たちは、彼が読むようには引用文献の読解を試みようとしなかった。