全文引用です(太田好信先生, 1998)

アイデンティティの模索
基調講演(太田好信

「18世紀末のヨーロッパでは、普遍主義を標榜する啓蒙思想に対する反動が見られたが、それと同じような反動の再現を目の当たりにしていると言えよう*」とインドネシアの著述家、グナワン・モハマド(Goenawan Mohamad)が記しているように、アイデンティティの概念との関連において、近代性には本質的な矛盾がある。
"One may point out that today we are observing a kind of rebirth of the late 18th century European reaction to the Enlightenment claim of universalism."
 啓蒙思想が主張する普遍主義に同調し、時空を超越した一種の有機的あるいは本質的な人間のアイデンティティを見出すことを熱望する人々がいる一方、性別、民族の違いなど、人々の間の差異により敏感で、様々な政治の基盤ともなりうる、より局地的で歴史的に限定されたアイデンティティを標榜するような動きがもう一方にある。 
 グローバリゼーション----それを16世紀以降のものと考えようと、より最近の現象とする立場をとろうと----によって、アイデンティティの問題はより緊急、かつ多くの人に関わるようになった。が、上述のいずれのアプローチあるいは考え方も、問題を孕んでいる。
 グローバリゼーションは、人間の有機的あるいは本質的なアイデンティティを主張する啓蒙的思想の進展を影響を強化したと言われている。時間と空間を横断して、すべての人間に共有される属性の存在を重視する一方で、グローバリゼーションは文化や共同体など、アイデンティティの伝統的な拠り所の重要性を軽視した。
 アイデンティティが一度その拠り所から切り離されたら、主体は一切のアイデンティティを奪われるということができる。なぜならアイデンティティはいかようにも、また際限なく再構築できるようになるからである。これは「ルーツのない漂泊する主体」、あるいは「国境を超えた個人」として表現されよう。主体はいかなる共同体にも基盤を持たず、アイデンティティの形成にあたって帰属はさ/[ここから89頁]して重要な問題ではなくなる。このようなアイデンティティの概念は、民族とのつながりを否定し、共同体とのつながりを否定する。その結果、個人は遊離した主体になる。
 この捉え方の問題点は、人々を結び付ける社会のビジョンや共同体の概念を基盤とする運動のビジョンをことごとく消し去ることである。しかし、植民地解放運動などの中心的な側面となったのは、共同体のレベルのアイデンティティに訴えることであった。たとえば第二次大戦後、いや世界の特定の地域では間違いなくそれ以前から、ナショナリズムを通じて表出される、共同体に関連させたアイデンティティの形成が、植民地主義に対抗するきわめて強力な手法であった。文化をもつことがきわめて重要だったのである。したがって、アイデンティティの拠り所としての共同体や文化を退けるアプローチは、抑圧的な慣行に抵抗したり変革を求めて行動する個人の能力を著しく制限、あるいは規制する。
 しかし、多様性と差異を強調する第二のアプローチにも問題がある。この種のアイデンティティの表現は、グローバル化した現在でも見られる。グローバリゼーションはこの種のアイデンティティ政治を葬り去りはしなかった。グアテマラのマヤ系先住民の、自らの文化的アイデンティティを守る闘いをみれば、ルーツを持つことと共同体間の差異を認める必要を強調することが、依然として一部の運動にどって重要であることが認識される。が、これにも問題がある。共同体の多様性を重視するが故に、共同体内の多様性が消し去られ、外部との差異が強調されるからである。
 したがって課題は、多様性を消し去ることのない帰属方式、すなわち排他的でない社会を概念化することである。本質的には、「共同体の非排他的慣行」を実現する努力をしながら、「共同体は多様性の重視を完全には排除し得ない」ことを同時に認識することである。二者択一とするのではなく、一部の民族主義的な論調で固定と帰属の比喩として使われてきた「ルーツ(root)」と、軌跡をあらわす「ルート(route)」との中間に位置するものとしてアイデンティティを捉えるべきではなかろうか。重要なのは静止した共同体ではなく、共同体がどのように生まれた、ということである。アイデンティティの問いをさらに探究する枠組みとしてマングローブの木の根を想像すればよいのではないか。マングローブの根は水に浸かっているが、水が引くとその姿かたちが現れる。この現象は、一部の差異を消去しながら、同時に他の差異、すなわち内部の多様性を認めるアイデンティティの概念を表象しているといえよう」(太田 1998:88-89)。



出典:国際文化会館アイデンティティの模索:変化する文脈のなかで』国際文化会館編、国際交流基金アジアセンター、1998年。(バイリンガル版: Asia-Pasific Youth Forum in Okinawa. Identies in Changing Contexts. The International House of Japan and The Japan Foundation Asia Center, 1998.)[蒼思子・大城立裕・文庫:沖縄県立図書館]