知里真志保「樺太アイヌの生活」

「熊は山の神であって、山の奥にある彼等の本国に於いては人間と同様の姿で、人間とちつとも変わらぬ生活をなしてゐる。ただ人間の里に降りて来る時は、「黒い小袖を六重に襲ね」やつて来る。それが人間の眼には、あの真黒な毛だものに映るのである。アイヌが他村を訪れる際には決して手ぶらでは行かないように、山の神も人間の里へ手ぶらでは降りて来ない。熊の毛皮や熊の肉は、ーーアイヌの考へによれば、つまり山の神の土産なのである。その肉体を家苞として人間に与へた後、熊の霊は人間から酒や/木幣を神の国へ家苞に貰つて帰つて行く。アイヌが熊を殺して祭ることを、イヨマンテ ijomante 「送る」というものも、つまりはさういつた気持ちからなのである」知里真志保著作集3「樺太アイヌの生活」(知里 1973:199-200)
「熊を射殺すなどと云ふ気持はアイヌには全然ない。第三者から観ればアイヌが熊を射殺すとしか見えないことでも、一歩アイヌの気持ちの中に立ち入つて見れば、熊にその人間が気に入つて、この人間なら自分の肉体を神苞として与えてもよいと思ひ、自分から、その人間の「客となる」のである。このように熊は本来人間に肉体を与えるために人間の里へ現れるのであるから、従つて心に疚しくさへなければ何も熊を恐れる理由も必要もない訳である」知里真志保著作集3「樺太アイヌの生活」(知里 1973:200)