自然保護運動の政治化/政治運動の自然保護との節合

私は、X大学のYさんの共同研究者で、グアテマラのマヤ系先住民の社会運動について調べています。
さて、実はこれとは別に、生物多様性概念の社会化というテーマで、自然保護運動の政治化/政治運動の自然保護との節合について調べて、現在、沖縄県立図書館に来ています。今日は「国際文化会館アイデンティティの模索:変化する文脈のなかで』国際文化会館編、国際交流基金アジアセンター、1998年。(バイリンガル版: Asia-Pasific Youth Forum in Okinawa. Identies in Changing Contexts. The International House of Japan and The Japan Foundation Asia Center, 1998.)[蒼思子・大城立裕・文庫:沖縄県立図書館]」を読んでおりました。ジュゴン平和運動について言及したZさんや、アイデンティティについて言及されているBさんもこの参加されているようで、大変懐かしく感じました。
このジュゴン保護と辺野古移設反対については、2010年に名古屋で生物多様性条約締結国会議が開催された時に、サイドイベントで、これも沖縄大学を中心とする市民活動家の集会に私自身が参加したことがあります。
さて、私が興味を抱いているのは、このジュゴン保護と辺野古移設反対の関係は、いつごろから強く結びつくようになるのでしょうか?1999年11月に県と名護市は辺野古沿岸域への受け入れを正式表明しますが、同年の10月には沖縄でジュゴン保護基金委員会が、翌11月には本土で北限のジュゴンを見守る会が、発足しています。このアイディアは、保護基金の東恩納さんによるものが最初なのでしょうか?
1999年以前から、ジュゴン保護と辺野古移設反対の関係がすでにあったのか?あるいは、この運動の提唱者は誰なのか?非常に興味がつきないところです。