ストップ・ザ・文化人類学のガレージサイエンス化

冠省
 たぶんX氏案の骨子を私なりに理解すると…成果を前倒しにして急いだのは(今初夏の発表も含めて)文化人類学界に我々の研究結果を広め、今年度末に控えている科研申請の審査に備えようとするものだったと思います。その意味で、研究成果物である本は、各執筆者のそれぞれに学恩のある(影響力のある)先生方にお贈りして、日頃のお世話への御礼をすると同時に、この研究会の趣旨と理念をより多くの人に伝えることです。
 あわせて、隣接領域の研究者に遭遇した時に―それはある意味でハンティングに似ていますが―ものになる方だと思った時には、名刺代わりに進呈して、このような一見好事家風の研究がもたらす「深い意味」について御理解いただき、また、中長期的な意味での学術的援軍を造ることです。
 とりわけ、先般の震災ならびに原発放射能汚染対策という「危機言説」のほとんど民族精神病の疫学的流行のもとでは、「罹災者に役に立つ・復興に貢献する・日本の産業界に夢をもたらす」というスローガンのもと、なにも考えていないがテレビ映りがよい研究のみに、基礎ならびに応用研究が割かれるような風潮が今後ますます酷くなる可能性が高くなるでしょう。
 人類100万年の進化とか、人間と動物には心があるか、ふうの議論は、高度な脳科学の機械をもつ人だけにゆるされた高尚な科学と化し、文化人類学は、ガレージサイエンス化するとも限りません。あまり、被害妄想になるのは、よくないのですが、昨今のモノトーンの危機言説の流行は、人間の多様性・多層性・多義性についての基礎学問についての大いなる危機を招来しているような気がして。ま、杞憂に終わればいいのですが。
不一