戦略的実践

〈ギュメ〉あるいは〈山括弧〉で表現するものは、視覚障害者には不親切で音声ソフトでの再生時に聴き取りにくいものであるが、ある種の〈抽象的な概念〉を指し示している。もちろん文字言語そのものは、音声化される以前には〈音声と概念の表象〉そのものであり性格上、読み上げられる原稿には〈ギュメ〉など全く不要であるかもしれない。しかしながらデリダのいう〈自己への現前〉を真理の形式とするロゴス主義形而上学において(〈自己への非=現前〉あるいは不在を理由に)貶められたこの文字言語(écriture)を、「音声言語の中にすでに『エクリチュール』があるのだ」という戦略的実践を私は/もここで試みたい[足立 1972:359-360; デリダ 1972]