民衆の詩学

 さて、私は久しぶりに町を散歩していました。町の2つの高台を歩いて(ラテンアメリカはどこでもそうですが、そのうちのひとつはカルバリオ(=キリストの磔刑の場所)と呼ばれます)。1時間ほどで戻ってきました。汗をかいたので(最後はTシャツ_町の人は厚いジャンバーかセーターなので私を見て目を白黒させていました)木賃宿のシャワーに入りーーなにせ1泊490円ですからもちろんシェアで、腰にバスタオル巻いて10メートルほど駆け足で行きますーーいつもいくコーヒー店のコーヒと一昨日買ってきたクロワサンで朝食しています。
 そこの店員とのジョークのやりとり。私「メキシコのアメリカン・コーヒー(エスプレソでない普通のコーヒーはみんなアメリカン)は、私にとっては薄いわ。ヨーロッパ人は濃いのを飲むよ。濃いのを入れてくれ〜」店員「メキシコのコーヒーは『パンツを洗った水』って言うもの〜♪ 」私「靴下(の洗い水)も入っているよ」。単なるジョークのやりとりのように聞こえる。でも……
 私は、これこそが芸術家のみならずどんな人でも詩をつくる才能(=ポイエティークの能力)があることの証明だと感じたのですが君はどう思う? こういう日常の才気にあふれた民族誌を私は書きたい。