奥崎謙三『神様の愛い奴』2003年

mitzubishi2010-06-30

 奥崎『神様の愛い奴』2003年。85歳で亡くなる8年前(本人77歳)の映像記録。俺が20歳の頃に宮崎県でフィールドワークした時に、老漁師のおじさんが突然切れて日本刀をたびたび持ち出して、俺達の宿泊所を襲撃されていた経験を思い出す。箱の著名人の講評は対岸の絶賛だが、私は昔の記憶が甦り苦い追憶……
 結局『神様のややこしい奴』_こういうのに比べれば、人は何でも耐えられるという寓意を引き出すことも可能……かな?
 歴史は繰り返す。最初は悲劇として、次は喜劇として、そして最後は不条理劇として(『神様の愛い奴』)
 不条理劇から特典映像へ(平野悠によるインタビュー):ここでようやくノーマライズ……
奥崎『神様の愛い奴』2003年、プロデュースは大宮イチ(監督兼、他に藤原章)となっている。平野悠の特典映像と併せると、奥崎個人の政治神話化(平野)とAV女優やSM女王との絡みという彼の卑俗化あるいは脱神話化(大宮)という両極端のことを試みているようだ。
 本編では制作スタッフが血栓溶解法なる宗教とも医療とも言い難い実践に合わせたりと「先生」という呼称で奥崎を煽てて、フィクションともノンフィクションとも言い難い(私から言わせれば)醜悪な演出も同時におこなっている。
 にもかかわらず奥崎の狂気の言動と態度がそれを超えて孤高の光を放っているので、視聴者はすべて(とりわけ映像自体の枠組と奥崎の言葉)に辟易しながらも、眼が放せないのだ。こういう狂気には映像のこちら側しか付き合いきれないのも正直なところで、馬鹿で無意味な制作スタッフの愚劣さ[人的コストは膨大]も歴史的映像記録[あるいはアクション映像制作]という観点からみるとやむなしと言える。
 こんな男の存在を知ってなんにもならないという諦めに、無理やりねじ込まれてくる暴力。雑踏でヤクザに絡まれる恐怖。ただし視聴者は停止ボタンを押せる安全装置だけが与えられたトンデモ映像。