人妻の語用論

mitzubishi2009-11-01

天地を照らす日月の極みなくあるべきものを何をか思はむ(万葉集4486)
結局、どうもこの先生は国語の先生なのに、語用論という理論があることを忘れているようだ。だから万葉集の時代の(あるいは当時の社会的ランクの高い集団の)人妻の語用論という意味使用の相対化ができず、背景知識のない生徒に対して「本当の恋心は、人が作った規範を超える」という頓珍漢な答え方しかできない。つまり、このように答えることで、この先生は言語学上の真実に対してもまた自らを裏切っているわけだ。しかしこのような間違いを俺たちもまたしばしばおこなっているのではないだろうか。むしろ、語用論を逸脱することで、意味を作り出しそこにさまざま想像の余地を創造してもいいのでは?という自己反省にたてば、このようなことにいちいち目くじらをたてる俺のほうがどうかしているのかもしれない
あかねさす/紫野ゆき/標野ゆき/野守は見ずや/君が袖振る」(額田王
 紫草の/匂へる妹を/憎くあらば/人妻ゆゑに/我恋めやも」(大海人皇子
皇族の歌として万葉集第一巻の20番と21番に登場する。相聞歌の最初の例として高校の授業で取り上げられることが多く、広く知られている。枕詞や紫の持つ意味、さらには「〜めやも」という言い回しなど古文のお勉強をした後、先生は次のように説明する。「額田王が『天皇の紫草栽培園などという公のところを散策しながら私に袖を振ったりしたら管理人が見ないはずがないでしょう』と密やかな恋にしたいと言う気持ちを示したのに対し、相手の大海人皇子が『高貴で美しい貴女のことを人妻だから私が恋するというものではありません(貴女の美しさと私の気持ちは堂々たるものです)』と応えたのです。」「先生、不倫の歌ですか」という生徒の質問に、「意識した不倫ではない本当の恋心は、人が作った規範を超えるのです。」と答えて授業は終わる。しかし、実はかなりややこしいのである。/額田王を「人妻」といっているのは、天智天皇の妃の一人だったのである。額田王は、10代半ばにして2、3歳年下の大海人皇子との間に十市皇女をもうけている。天智天皇が20年程前に別の妃との間につくった大友皇子十市皇女が嫁ぐことになったのがきっかけで、32・3歳で額田王後宮に入ったようで、額田王はそれまで少なくとも十数年大海人皇子の妻だった。その後数年も経たない時期に天智天皇が狩り(普通の猟とも薬草狩りとも言われている)の後で開いた宴会の席でこの歌は詠まれたというのである。さらにこの3年後、天智天皇崩御し、大海人皇子大友皇子との間で壬申の乱が勃発して、大友皇子自害の後二人の女性は大海人皇子天武天皇)のもとに引き取られるのである」(members2.jcom.home.ne.jp/nom-sin/ball.html)。