U島事件の顛末

Y君へ

この間の発表のコメントを忘れないうちに……
1.U島事件に関する普通の人のコメント
 U島事件に関するコメントは、Y君本人の解釈のみで、その事件を報道で知る普通の人たちの意見(何人かの人に聞いてみるか、フォーカスグループを使って討論させる)と、法廷資料などの供述関連で、その臓器をどのように当事者は理解しているのかについての情報はとりあげることができなかったとしても、披露する必要はあっただろう。
2.W・Kの意見は重要
 W・KのY君に対するコメントの中で言っていた extortion (恐喝、無理強い)という意見(=解釈)は、我々が思いつかなかった点で重要だと思う。恐喝というのは、理不尽な不等価交換の関係を強制的に創りあげることだが、それを可能にするのは、強制的ではない「自然な関係」の枠組みが、その文化の文脈のなかで用意されていることが必要だからである。『菊と刀』や、交換理論を使ったかっての日本研究のなかで、この種の議論はないかどうか検討する余地がある。
3.私の意見はモダニストだが特異的な実証主義
 若手の皆さんとお酒を飲んだときに出てきた会話で気になることがあった。たとえば、フェアトレードには、アンフェアなことがあることが出てきたときに、皆さんはそれを過度に一般化していたことが気になる。私がブランディングという対抗意見を出したのは、これに対する違和感からだ。皆さん方にある、こういう付和雷同な安易な意見の統一は、特異的な実証主義者(idiosyncratic positivist)の私としては強い違和感を覚える。人類学者は、議論をする中で、やはり変な意見にもっと職業的関心を向けるべきだ――俺たちは馬鹿な社会学者とはそこが違う。O大学の人類学の理論派の人たちは(これは教員にも責任があると思うけど)理論的整合性のほうを優先して、現実に起こりうる変な実際的証拠の面白さにこだわる精神が少ないのではないかな。
まあ雑ぱくだが、こんなところかな。