ダイナソーとネイティブ

「研究そのものや研究上における糞真面目なふりをすること」と「頭を切り換えてワークに没入したり、またそれ事態をリフレクシブに楽しむ」ということの対立じたいは、たぶんこれからもあまり変わっていかないと思います。ただし、その比率(前者から後者への移行)は確実におこっているというのが、私たちが大学院生を通して教育しているプロセスのなかで、日々実感しているところです。ダイナーソーはいずれ絶滅するでしょうし、まだマイノリティの私たちも、新しく出現しつつある新興コミュニケーション世代(例えばデジタル・ネイティブ)から、時代遅れと扱われる日々がくるかもしれません。
全部がいきなり変わってゆくのではなく、楽しそうにやっている連中を、横から眺めている人たちは少しずつ模倣をして、知らない間にそうなっている。そういうネイティブがいるかも知れません(=あえて自己規定するとどちらかと言うと私はそういう民族=ネイティブだと思います)。
というわけで、たのしくやりましょう!