あるもの中心主義批判

Yさんのいっていること(=上水道がある/ないという区分は、上水道を中心とした見方で、水資源の調達を公的機関に依存するのか、自前で調達するのか違いにすぎないという主張)は、中村禎理というひとが「動物の権利」を、愛護至上主義者たちに動物と人間を同列に扱うという発想のように誤解されているけど、まず最初に人間が一番最高という発想を前提にしているから(権利を人間の水準に引き上げてあげる)という差別思想の裏返しと批判していますが、これと同じ発想ですな。たしかに正しい。
来年グアテマラの先住民の調査の時には、水俣病のパンフレットをスペイン語版に翻訳して、連中に宣伝しておきますわ。差別の被害者として水俣病被害者の気持ちがよくわかり「今その人たちはどうしているのか?」と心配を寄せる人たちに応えるために。
ラテンアメリカ水法廷――来年どこで開催されるか知らないけれど――でS社の代表が特別講演(弁論)をするというのはどうでしょうか?