Paulo Freire 受容の実践的代価

う〜ん、バラク・オバマの演説のようですな(=厳しい現状を正確に把握し、社会に変化をもたらそう!)。
しかし、このパウロフレイレ流の意識化の問題は、とても重要だと思います。
そういえば余談ですが(私のメールはほとんど余談のようですが……)
JMが昨夜一緒に飯を食った時にこういうことを言っていました。パウロフレイレの日本語訳(邦訳『非抑圧者の教育学』)は、英語からの重訳なのだが、そもそも原著のポルトガル語から英語に直したときに、英訳者が十分なニュアンスを伝えられなかったので――本人はポルトガル語と英語を全文にわたって比較検討したと言っていましたが――日本語訳はたぶんかなりわかりにくくなっているのではないか。とくに少数の金持ちやエリートが、非識字者の経済的下層民を[徹底的に]抑圧搾取する構造的伝統は、ブラジルと米国では似ているので英訳が適切でなくても米国の読者は理解できようが、社会的背景の異なる日本に住んでいる人たちには、その理解は難しいかも、というのがJMの主張でした。
また中米に来る度にいつも思いますが、(医療人類学や「宗教や道徳」など普遍的なものと思われる概念と譬えて恐縮ですが)マルクス主義の受容と理解が全然違うのですな。西洋起源の理念(イデオロギー)と実践に関する議論が、受け入れる社会や人びとによって多様という現実が、さらに私たち同業者の研究対象の可能性を広げるという点で興味深いのですな。もちろん、そのための「現場の混乱」という実践的代価も支払わねばなりませんが……