docta ignorantia

デ・ドクタ・イグノランチア
という感じです。前のメールで旨く私が書けなかったのですが、
みんなフロリダのような議論を読んで、腑に落ちるような感じがするのではないでしょうか。とくに日本の書肆もそうですが・・・これを読むのはエクゼクティブか、営業の戦略を練る人たちですよね。つまり、フロリダの議論が腑に落ちる→日本の社会もそうなっているのではないかと考える→そこのなかでビジネスを考える→企画会議などで紹介される→いろいろなところで吹聴される→みんなそのようなシステムで動いていると信じる。
という循環が「状況が(機能論的に)わかる」という駆動力で動くということなのではないでしょうか。これを(準理論的)リフレクシヴと言わずしてなんというでしょうか。現在では、リフレクシブには安全装置が作働する(negative feedback)ようになっていて危険なものにならない(例えば革命理論やテロリズムには発展しない)リフレクシブという作業が近代では本来の意味(そんなものがあればの話ですが)を失って、完全に脱臼(dis-locate)しているのでございます。あるいは、文明とは脱臼したリフレクシビティのことなのか。