フロイト/ラカン/新宮

いえいえ、偉人伝ではなく、フロイトの事後性に関する興味からです。

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フロイトのテクストの中に「事後性」というタームが最初に現れるのは、1895年の「心理学草案」において、より正確には、そこで報告されているエマという少女の症例においてである。 彼女の訴えは、一人で店に入ってゆけないというものである。 フロイトとの分析において、エマはまず、彼女が12歳のときのある経験を思い出す。…ここに見出されるのは、外傷になった出来事(8歳)と実際の症状のきっかけとなった出来事(12歳)との間の時間差である。……つまり、12歳のときの出来事が、8歳のときの事件の外傷的な意味を、遡及的に浮かび上がらせたのである。「一つの記憶が抑圧され、それがただ事後的に外傷となった」(GW,Nb:448)フロイトは記している。/こうして、フロイトにおいて、外傷とは何よりも、事後的に、つまり遡及的に、意味(シニフィエ)を与えられるシニフィアンである。このように見てくると、ラカンによって刷新された「事後性」の概念は、実はフロイトの中にそのまま再発見されうるのだということがわかる。そして私たちは、今日のPTSDをめぐる議論において完全に通俗化された「外傷」の概念が、フロイトのそれからどれほど隔たったものであるかということにも、思い至らざるをえない。」(引用は、『知の教科書 フロイト=ラカン (講談社選書メチエ)』p.68〜 「事後性」 「心的外傷」なのか?)[→出典:d.hatena.ne.jp/ueyamakzk/20061106]