福祉と認知症をめぐる仮想座談会

ライト・アズ・ア・フェザー (完全盤)――そういった時代の潮流と女性の権利主張がちょうど重なったのが、
1990年代だったのではないでしょうか?
――いやそのとおりなのだが、問題は春日と同様な主張の展開やり方をやっている人が他にいるかな?という点。
もしいなかったら、春日の論点の整理はユニークというか重要で、それを支持するにせよ、批判するにせよ、彼女の論説は重要なポイント[出発点]になるということだ。
――実際の家族制度の崩壊により、そのような不問の構造 がもつ自明の前提が崩れてしまった。そのような矛盾が今日の介護問題 に如実にあらわれており、そのような問題性は、当事者たち の語りや行 動からも証明されるというふうに読みました。
――今日の介護問題というのが具体的にどういうものを指すのか
不勉強でよくわからないのですが、先にも書いたように女性はもはや
「介護」のためにタダでは働かないし、介護が必要ならそれ相当の賃金を
要求できる、あるいは外部にお金を払って依頼すればいいじゃないかと、
ここ10年くらいの間で変わってきたように思います。
――『介護問題の社会学』で触れられているよ。というかここ10年ぐらいの論文をまとめたものだから、それらの論文は変遷の渦中に書かれたものだろう。ただし、彼女は古い?民法上の取り扱いは、そのような変化に対応していないし、また[自民党復古主義というか時代錯誤的なイデオローグと同様に]社会の変化に即応しておらず、むしろ古い道徳を押しつけるイデオロギーとして機能しているという彼女の主張には十分耳を傾けるべきでは?(対抗言説なので春日さんの主張そのものも古くさくなってゆくという批判はまず置いておいて……)
――逆に、こういう時代の流れをみると、親を施設に預けることに対する世間の
引け目よりも、お金を払ってより専門的な施設に親を任せて働く女性の
ステイタス向上に「介護」がつながっているように見えてきました。
かなり偏見ですが・・・。
――デジタルデバイドの議論と似ていますね。(1)ステイタスが高いから親を預けられる能力があるのか、(2)預けてその分の余裕でステイタスを上げられたのか?――君の主張は後者のようだが、私は前者だと思うな?むしろ、親を預けたので、さらに仕事が伸びるというブースター効果のような主張ですね。だけど、これはアブナイ言説ですよ、すぐに(2)のような短絡的な発想に繋がるもん。ネオリベラル時代によくみかける論法です。
――万引きは犯罪ではなく、ボケの症状として語られる、あるいは本人が
語る日が来て、科学的に証明される日もそう遠くないかもしれませんね。
――いやいや、少年法改正でも同じですが、罪刑法定主義にもとづく厳罰化は進んでいるので、キ◎ガイも認知症も減免するのではなく、入院させてそういう連中を放逐するか、当事者にチップでも埋めて、保護者なしでコンビニに入れないようにする、てな人権侵害が横行するかもしれません。そういう権力執行の公務につく奴の中にもそういうクレイジーな連中が数少なくいます(というか、公務担当者にもふつうの人にも、こんな意見をもつ連中は一定の割合いるので、問題は根絶やしにできないので、低レベルで管理できるかですね。)。