genetic polymorphism の翻訳語について

Lee Konitz With Warne Marsh垂水源之介です。
遺伝的多型に関するxxxさんの指摘は2つの意味で正しいと思います。
まず(1)遺伝学における正書法では「多型」と伝統的に表記していたこと。
つぎに(2)単一遺伝子にもとづく遺伝現象を理解する議論のなかに次のようなものがあります。つまりフェノタイプ=表現型とジェノタイプ=遺伝型を峻別するという議論があります。ここで「タイプ」と称しているように、遺伝的多型の考えが登場する前には、前者は遺伝子の表象、後者は遺伝子の本質のコード(記号)という分類が厳格にあったように、この峻別がメンデル遺伝学の要衝であり、優/劣の遺伝的な1かゼロの二者択一の原理で、ここから表現型が同じでも、ジェノタイプはホモとヘテロの区分ができないので、さらに第二代の交雑をおこなうことで、ジェノタイプを同定するという方法がありました(メンデル法則は、その方法論の根拠となる発見に他なりません)。
(古典的)遺伝学を研究していた人たちには、このような遺伝子ないしは遺伝現象に関する基本的理解ないしは世界像がありましたから、ポリモルフィズムの翻訳の際にも、表現型における多様性を示唆する「多形」よりも、タイポロジーとして遺伝子と表現型の関連を示唆する「多型」という用語が選ばれた(好まれた)可能性があります。
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というわけで、XXXさんの指摘は、遺伝学の正書法においても、古典的遺伝学のパラダイムを理解する点でも、まったく正しい指摘をおこなったということになります。
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南山堂「ある生物集団内においてゲノム上の特定の部位で→遺伝的変異*がみられる現象[南山堂医学大辞典第18版]」、岩波生物学辞典「同一の生物集団内に含まれる正常な個体間に不連続な遺伝的変異が存在する現象[岩波生物学辞典第4版]」
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『地下の民』いいですねぇ。私のお気に入りの映画です。
nacion clandestina だから「非合法者たちの鄙」要するに、ポスト植民地時代の独立国家体制においてすら存在を認められない先住民の人たちの辺境のみやこ(鄙)の人たちの現在の物語という感じですかね。
自分の葬儀の列の最後に[生まれ変わった]セバスチャンがぬっと顔を覗かすというシーンはいつ観てもゾクゾクと来ますねぇ。
この間死んだピノチェトの國には、いまもフジモリ(スペイン語風に読むとフヒモリなのですが)がいます。大使館突入事件から10年、日本と南米は単なる移住・定住先ではなく、つねに循環しつつ我らの隣にいつづけるというわけです。
死ぬまで、などと言わずナンボでも生きましょう。忍者ならぬ有罪宣告を受けているフヒモリすら突入しているくらいなのですから、モンゴロイドのDNAが呼んでいるわけですよ。