批判的医療人類学と熱帯医学の接点

スイング・スワング・スインギン ところで某1の人類学外しの提案には全くあきれます。彼は開発学というパラダイムは人類学も包摂できるという全く傲慢な開発中心主義野郎(出来の悪い日本のロバート・チェンバースですかね?)ですので、引用されている人類学外しの提案の趣旨はほとんど理解しかねます(怒りを通りこして軽蔑の念すら覚えますね、ホント)。
 国際保健(保険の間違いではないのかと最近変節しつつあるのでは?と感じますが)と熱帯医学と、批判的医療人類学が結びつくのは、帝国医療の誕生以降、テクノクラートとしての保健科学者が、どのように情熱をもって植民地や途上国の健康問題を真剣に考えてきたのか、そのユートピア精神と現実の現地社会の変貌は、いかなるものなのか? そして脱植民地化した現在の国際協調体制のもとにおいて、国際保健や熱帯医療は、具体的にどのような方向性をもって、その学問的プレゼンスと研究者の理想を実現すべきかという、次世代のこの2つの領域に対する若手研究者に対して、先陣たる碩学たちが、いったい何を実現し、なにをまだ実現せず、そしてさらにどのような点を放棄・忘却してきたのかということを、きっちり輪郭づけて議論すべきということでしょう。このような話は、高度な修辞上の問題ではなく、今まさに腹蔵なく話さないと、次第に自己反省能力を失ってしまうと思うのです。
(某2が以上のような批判的視座を敬遠しているのは、彼が練ったプログラムをみておわかりのこととでしょう)。
 なお、Xさんはこれから1年●●に出かけて不在です。上のように、私独自で分科会を組織できるだけの人脈も構想もありませんので、どこかの部分にコメンテーターとして放り込んでいただき「批判的視座の重要性」を五月蠅く飛び回る虻のような位置づけて処遇してくださっていただくほうがよいかもしれません。
 現在の私の関心は、近代医療を現地の人たちに翻訳し、近代医療従事者に対して、現地の人たちの近代医療観や土着的な身体=精神感覚を説明し、いかにして現地の良好な医療者=患者関係を確立することができるのか、そしてそのような活動に文化人類学はいかなる寄与ができるのかという点にあります。
 とり急ぎ、腹蔵なく話しました。なお、某1さんや某2さんへの辛口のコメントをしておりますが、これは裏表なく私が抱く心証であり、陰口を叩いているのではないので、連中に原文のまま伝えていただいても、私は片腹どころか何とも感じませんので、ご安心ください。「文句あっか?」と言いたいです。