我が麗しのニッポン家族!(そしてイヌネコ家族など糞喰らえ!)

毎日新聞の家庭欄関係の報道はいつ読んでもきめ細かくためになる。【以下引用】「教育図書「家庭基礎」の申請本には「自分の家族観」の項目で、ロックバンドGLAYのリーダー、TAKUROさんのコラムが掲載された。父親が亡くなり母、姉と生きてきた中、「父親がいないことを、不満に思ったりした形跡はまったくない」とのくだりがある。このコラムに対し「さまざまな家族形態を考えるページの中で、親が1人の家庭の記述が目立つ」との理由で検定意見が付いた。修正でこのコラムはなくなり、「CMの家族像」と題した父子・母子家庭には触れない内容に差し替えられた。/ペットを家族とみなす記述にも意見が付いた。開隆堂の「家庭基礎」「家庭総合」の申請本に掲載した「次にあげる関係を家族と考える?」の例示のうち、修正後は「愛情を込めて育てているペットと自分」との記述が削除された。この記述は前回検定で意見が付かなかったが、文部科学省は「家族は通常人間と考えるべきだ」と説明している。/家庭科では、前々回の96年度検定で、家族からの自立に焦点を絞ったり同性愛カップルに触れたりした申請本4点が不合格になったが、前回の01年度検定からは一転してこれらの記述が認められ、不合格はなかった。/一方、昨年、参院議員が国会で「浮気をする権利を教えている」「祖母は家族ではないのに、ペットは家族と考える人もいるとの記述がある」と特定の教科書を非難するなど、家庭科を取り巻く状況は変化している。/96年度検定で不合格となった東京都内の出版社の編集者は「前々回に比べ前回は全般に基準が緩かった。しかし今回はまた厳しくなり、改訂していない記述にも意見が付いた。これも社会情勢の変化なのか」と話す。別の出版社の編集者は「今回、調査官は離婚や一人親の記述に敏感だったと感じた」と話している。【長尾真輔、種市房子】/◇多様な家族が実在/若桑みどり千葉大名誉教授(ジェンダー文化論)の話 文科省は「家族とは両親がいて子どもがいるのが“正常”」との観念に立っているのではないか。実在する多様な家族形態の中に生きる父子・母子家庭の子どもの存在を消し去ることには納得がいかない。/◇選択肢提示が役割/山田昌弘東京学芸大教授(家族社会学)の話 「家族はこうあらねばならない」と示しても教育効果はない。ペットを家族だと思う人が多いことは数々の調査で判明しているし、小泉純一郎首相も離婚している。現実を示して、実社会で幸せになるための選択肢を示すことが教科書の役割ではないか」」(出典:http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/edu/news/20060330k0000m040035000c.html)。なお、私は上の識者の意見には基本的に賛成だが、後者の山田の意見にについては多少異論がある。それは「実態としてのニッポンの家族」と、文科省の役人が「こうでなければならないと考えている家族」の意見の峻別について、社会学者の見解をきちんと述べてから説明しないと、単に「ペットも家族だ」ということを「数々の調査で判明した」という実体的証明があるから、そうなのだというアホな主張をしていることと区別がつかないような意見になっている(ご本人がそのような馬鹿である可能性も否定できないが)。こういう意見のもって生き方は、クレージーでイデオロギッシュな社会構築系の馬鹿学者という世間のステレオタイプを助長するのだ。他山の石とは言いながら、反対陣営の理論強化も課題と思える記事ではある。ちなみに、私はペットも家族の同一のカテゴリーとする反ヒューマニズム的な見方には反対だ。ペットを家族の一員とみなすことと、何が家族であるかいう定義はやはり峻別すべきだと思うのだ(例:ペットは遺産相続できない)。つまりイヌネコの地位の上昇が問題ではなく、人間がイヌネコ状態になりつつあるというニッポン社会の状況が問題だと言いたいのである。
なお、ペットと人間は区別すべしという私のエッセーは下記で見てやっておくんなまし。
◎ワタシヲ アナタノ ペットニ シテネ!
http://cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/051204kokoropet.html