民主主義というネクロフィリアについて

《民主主義というネクロフィリアについて》
 みんなで民主政という集合表象(幻想)に関わっているのに別の集合表象(神)と取り違えているからですね。民主主義というネクロフィリア=屍体崇拝について。――【本文よりも長い脚注】なお、ネクロフィリアは精神のねじまがった精神医学者には屍体姦という用語に限定されて使われ、馬鹿な専門家に独占されてしまったが、いわゆる「未開」社会では、屍体をあたかも生きているがごとく慈しみそれらに崇敬するのみならず、生きている人と「等価」に扱うことが重要なのです。ネクロフィリアは人類にとって「当たり前の現象」です。だから民主主義がネクロフィリアと言われても怒るのは、馬鹿と精神医学者だけです。専門家の頭の中が知性の不道徳な姦通によって犯されていたのですね。