刺激の貧困

【刺激の貧困】
 刺激の貧困(POTS)はチョムスキーの生得的普遍文法のアイディアを支える「経験的措定」である。下記のリンク先のウィキの冒頭には次のように説明されている:In linguistics, the poverty of the stimulus (POTS) is the assertion that natural language grammar is unlearnable given the relatively limited data available to children learning a language, and therefore that this knowledge is supplemented with some sort of innate linguistic capacity [-> http://bit.ly/1jlyB7k ]. しかしこれだけだったら、何で子供に刺激が貧困であるのか、なんのことがわからない。つまり、子供が、言語を上手に話せない(=統語能力がない)ように見えるのは、子供が、統語能力を「まだ」学んでいないからなのではない。子供は、先験的な統語能力(=普遍文法)をもっており、外からの刺激が貧困だから、それが未だ未発達の「ようにみえる」。
 これだけであれば、かなり強引な議論だが、じつは、このアイディアは、スキナーの(連合にもとづく道具的条件づけ)著作を批判する過程で生まれてきたものである――あるいはそう信じられている。刺激の貧困は、スキナー心理学の刺激の一般化(stimulus generalization)を批判する概念なのである。刺激の一般化とは次のように説明されている:stimulus generalization is the tendency for the conditioned stimulus to evoke similar responses after the response has been conditioned [-> http://abt.cm/1kmT1Ns ]。このことを先の言語習得に当て嵌めると、スキナリアンは、人間は言語習得にはタブラ・ラサ(白紙)のまま生まれてきて、夥しい刺激の一般化を通して(つまり試行錯誤を通して)ようやく洗練した文法の使い手になるとみるわけである。