エクリチュールを介しての命の蘇生

エクリチュールを介しての命の蘇生】
 W先生が昨日のシンポで(哲学の過去の著作を)「読むことを通して〈死者〉と対話している」というコメントは、読み手の位相を把握し描写するためには、あまりにも陳腐な発話だった。なぜなら、書物は紐解かれるたびに〈命を吹き返す〉からだ。彼には、デリダ流の、エクリチュールの戯れに翻弄される読み手は、(本人はそう思いたい)主体なのではなくて(歴史的諸条件のなかでオペレートされた)客体なのだという認識をもたない/持ち得ない/気づかない、もはや死んだ啓蒙の読み手なのかもしれない。エクリチュールを介しての命の蘇生とは、かくのごとく、蠱惑的だが、また、危険なものなのに