開発とは抽象的なものではなく

インドネシア農村社会の変容

参考資料について、私の所感を述べさせていただきます。

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セロ・スマルジャンとケンノン・ブリジール『インドネシア農村社会の変容』中村光男監訳、明石書店、2000年。

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 第7章はPKKの説明ですが、例えば、アチェでは、母子保健では成功したけど、家庭菜園プロジェクトでは失敗した事例(pp.105- )の様子が書かれてあります。
ポスヤンドゥでは、当初は高齢者向けのサービスやプロジェクトなどはなく(p.133)、プライマリヘルスケアの影響を受けた、第三次開発五カ年計画から、健康管理プログラムがはじまります(p.134)。
 これらの整備の遅れは、村落における保健医療人材の不足(ibid.)にあるようですね。
第11章のアチェヤコブ氏の話(pp.257-264)は村の経済開発には積極的に容認しますが、ポスヤンドゥなどから入ってくる家族計画には否定的です(p.259)。敬虔なヤコブ氏は、西洋の文化の流入には否定的ですが、PKKの経由の女性の地位向上には、概ね肯定的な意見を持ちます。第13章のジョクジャ特別州のハルディ氏(pp.329-332)の奥さんはPKK活動に深くコミットしますが、家庭における経済的な水準は改善されたという意識が少なく不満げです(p.332)。
 このように、村落に入ってくる開発とは抽象的なものではなく、具体的なプロジェクトであり、また、それにより村落内の社会的意識も変わります。
 PKKを運動の担い手としてポスヤンドゥを拠点に始まりつつある、高齢者向けのプロジェクトの、評価と解釈についても、このような(社会的文脈とアクターと呼ばれる当事者たちの)観点から行う必要があるとおもいました。

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なお本書には、索引がありますので、索引を活用してください。