古事記

あしかびのごとくもえあがるものによりてなる――古事記
哲学者の木田元は、ハイデガー存在論批判研究で有名な人だが、ハイデガーは『存在と時間』の続編が失敗したことを、単なる執筆の遅れや、書物の構成のまずさではなく、自分の思考の構築のやり方の根本的な誤りであることに気づき、その続編(後半の2/3)の執筆を断念する。その骨子のテーゼが、存在了解から存在の生成へ!というものらしい。木田は、ハイデガーソクラテス以前の哲学者の存在生成へのヒントを求めたのに対して、日本の自然観のなかにもあると言って、この古事記の存在の生成についての解説をおこなう。まさに「萌え系」的発想でナイスだな!