身勝手な殺人について

【身勝手な殺人について】
 確かに、ストーカーでも無理心中でも親子心中でも、生き残った連中の常套句は「彼/彼女/この子を殺して自分も死のうと思った」ということだ。これは自分がこの世から亡くならないと、自分が死ねないということだが、どのような関係性を主張しようが、相手の生命を先に抹殺することに代わりないわけだから、これは、いわゆる「身勝手な殺人」のレパートリーに他ならない。日本の刑法は殺意をもつか持たぬかで、殺人か過失致死を分けているが、これは「殺意」を第三者は蓋然性でしか判断できないので、合理性にかける殺人の認定である。殺意という(時間的因果的に)抽象的な概念よりも、(合理性にもとづいた外部表象化可能な)計画性があるかどうかで(刑法上の)殺人を定義したほうがよい。もちろん「心中」などいう、人を誤魔化す用語は法廷では(描写用語以外では)御法度だ。こういう愚劣な動機をもつ人には、仮想体験でもいいので「自分が殺される恐怖」というものが、いかなるものかを知らしめる必要があるかもしれない。もちろん、それは、言葉の正しい意味での「治療」でも「心理的拷問」にも該当しないだろう。