ベンヤミンと医学論

「テクストとは、次第に濃密になってゆく内面の森林を通り抜ける街道なのだが、それがどのように切り開かれ(=拓かれ)ていったのかは、たんに讀む者にはわかりようがない」----ベンヤミン『一方通行路』
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(昔読んでマーカーが引きまくりの)三島憲一ベンヤミン:破壊・収集・記憶』(この副題だけでも医学=医療論が展開できそうだが)[現代思想冒険者たち09]講談社、1998年、165〜174頁に、翻訳者の使命についての議論があります。このベンヤミンのエッセーが生まれた社会的経緯について触れてあり、テキストを内在的に読もうとする(傾向を通して独自の解釈にたどり着く)本居宣長丸山真男=仲正流の解釈とはぜんぜん違って、時代背景とベンヤミンのインタテクスト的照応関係で攻める三島先生のノリは、格別にそして断然おもしろいです。この本は、2010年に講談社学術文庫から再版されていますので、入手可能です。
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H大名誉教授。でも博覧強記で、ものすごく頭賢いですね。この間もH大GCOE最終号の鼎談で、T山氏・K本氏と3名で話をして、後輩の2名の突っ込みなど軽く、いなして「文科省もホンモノのGCOEをやるつもりなら、教員を研究に専念させて、その間の教育負担の人件費を出すべきだ」とすばらしい慧眼な発言をなされていました。こんな正論を吐く人がもう大学にはおらず、学内政治力学で担ぎ上げられた学長(=本人は人徳で当選したと思うからいよいよ悲惨)のまわりの取り巻きは茶坊主ばかりで、国立大学は本当につまならないわ。