性交と排泄

余計な外交辞令は抜きにして、あなたの研究のことについて考えてみましょう。
まずコミュニケーションとしての性交と排泄を考えると、
(1)性交は、対人コミュニケーション(interpersonal communication)です。というか身体の内奥における(inter-corporal)コミュニケーションです。だから性交(intercourse)と私たちは呼んでいるかもしれません。
(2)それに対して、排泄(excretion)は外に出すことで、対人コミュニケーションという性格はもちません。排泄は孤独にするものです。また、基本的には隠そうとします。
(3)にも関わらず、両方のコミュニケーションについて、他人と語り合うのは憚られるものです。だれでも、自分の排泄や性交のことを言うのは「恥ずかしいもの」です。
(4)そして、性交にも排泄の経験にも、どうもその経験の共有にはジェンダー差があるようです。男性の性交における射精や自慰がしばしば「排泄」と喩えられるように。女性の場合は、性交が排泄に喩えられることはありません(ジェンダー論の田中美津が1970年代に興味深いことを指摘しています)。
しかし、このような私の理解も、ポーランドとの比較文化の視点からは、相対化される必要があるようです。つまり、「日本人は性交と排泄についてまさに医学的に、割と自由に話しているのに対して、ポーランド人はそういうテーマを避けていて、排泄は完全なタブーで、性交について話す場合は性交を俗化してしま」うように。しかし調査法として「若者の捉え方が違ってきたと推測して、アンケート調査」をやっても、なかなか奥深いデータは出てこない可能性があります。むしろ、質的なインタビューを通して明らかにするほうがいいかもしれません。しかし、性交も排泄も、先に申し上げたように、日本人にとってもまだまだタブーなので、調査は困難を極めるかもしれません。
うんこの哲学の読者にお答えして