文化人類学的なリベラリズム感覚からはほど遠い断罪にちかい表現

厳しいな〜
「すでに紹介したように、ハートとネグリは、『帝国』[ネグリ/ハート 2003]において、本質的な同一性や二分法的分割や固定的な対立を通して階層秩序を維持する支配の形式である近代的主権から、流動性や異種混淆性を容認する〈帝国〉へと支配原理が移行した現在では、すべてを均質化するグローバル化に対抗するためにローカルなものに固執する戦略がまちがっていると指摘」(出典:http://d.hatena.ne.jp/araiken/20111212/1323670015
まるでかつてのモスクワ中央の政治的決定のように、〈世界の中心がそうなっているんだから、お前らのローカルさへの固執は頑迷で間違っている〉と言わんかばかりの表現だ。それよりも、この論者は(ハートらも含めて)なにか党中央のようなものが、世界戦略を決定できるかのようだ。まさに、サバルタンの日常的戦術をどうでもよいと考えているかのようだ。すくなくとも、文化人類学的なリベラリズム感覚からはほど遠い断罪にちかい表現だと思うのは、私の心配性ゆえなのだろうか。