根源的な構成

「根源的な構成が行なわれる領野、すなわち経験においては、時空内でさまざまに現出する多くの事物が根源的に与えられているだけではなく、生物も根源的に与えられており、その中には人間(《理性的な》生物)も含まれている。とりわけ人間は二つの別個の所与の結合体ではなく、二重の統一体(Doppeleinheiten)すなわち、それ自身の内部で二つの層を区別しうる統一体、つまり事物と心的生活をともなう主観との統一体である。人間を統覚すれば、おのずから人と人との相互関係やコミュニケーションの可能性も与えられ、さらにすべての人間と動物にとって同一の本性(Natur)も与えられる。そのうえさらに、交友や結婚や団体などの社会的な結びつきも、比較的単純なものから複雑なものまで与えられる。これらは人間相互の間で創り出される結びつきである(ただし、ごく低次の段階の結びつきはすでに動物たちの間にも見られる)」。フッサールイデーン II-2』立松弘孝・別所良美訳、192ページ、みすず書房、2001年。

「さてそこでわれわれが共握(Komprehension)とその構成の諸能作をわれわれの諸考察の枠の中に引き入れると、それらの能作によって、以前は個別的に思惟されていた自我が〈彼にとっての〉諸客観のうちにあるものを〈他者たちの身体〉として把握し、そしてそれらの身体と一緒に他の自我たちをも把握するのである」フッサールイデーン II-2』立松弘孝・別所良美訳、208ページ、みすず書房、2001年。