全文引用:生物経済学から知の統合を考える

全文引用:
標題:生物経済学から知の統合を考える
氏名:田中 泉吏(日本学術振興会慶應義塾大学
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「E・O・ウィルソンはConsilience(以下『統合』)の中で、「[21 世紀には]社会科学の諸分野は、それぞれの中で既に始まっている憎しみに満ちた分裂を進行させて、一部は生物学に組み込まれるか、あるいは生物学と一続きのものとなり、残りは人文学と融合するだろう」(Wilson 1998, p. 12)と述べている。ウィルソンの生物学と社会科学の「統合」に関する主張は、二通りの解釈が可能だ。それを弱い穏当なものとして捉えれば、社会科学の諸分野と生物学における研究は、共通の原理や理論(それらが何であれ)に基づくようになるだろう、という主張である。他方で、それを強い過激なもの(「生物学の帝国主義」)として捉えれば、社会科学の諸分野は、20 世紀後半に発達した進化生物学の原理や理論(とりわけ、しばしば「ネオ=ダーウィニズム」と呼ばれるもの)を中心とした生物学に吸収されるだろう、という主張である。『統合』の出版から十余年、社会科学は生物学に統合されたのか。統合されたのならば、それは強い意味での統合か、それとも弱い意味での統合か。本発表では、「社会科学の中で自然科学の諸分野との溝を埋める準備が最も整っている」(ibid., p. 195)経済学に注目し、その生物学との関係性について考察する。『統合』が出版された翌1999 年、これに刺激を受けて、Journal of Bioeconomicsという学術誌が創刊された。「生物経済学」(bioeconomics)という言葉そのものは、その当時でも決して新しいものではなく、様々な意味で用いられていたが、このジャーナルの創刊号巻頭論文の冒頭では、「生物経済学は、経済学と生物学という二つの学問分野の合併あるいは『統合』(Wilson 1998)を目指している」(Landa & Ghiselin 1999, p. 5)と述べられている。これだけを読むと、生物経済学はウィルソンの社会生物学「帝国」の尖兵のように思われるかもしれない。だが実は、このジャーナルを牽引する生物経済学の中心人物たちがこの分野を創始したのは1970 年代前半、ウィルソンの『社会生物学』の出版(1975 年)よりも前に遡るのだ(Cf. Tullock 1971; Ghiselin 1974)。さらに、一部の生物経済学者は次のように主張する。生物経済学は、生物学を応用した経済学ではない。むしろ逆に、経済学を応用したものが生物学である(経済学の原理の方が生物学の原理よりも基礎的である)。無論、前文における「経済学」は通常よりも広い意味の「資源の科学」(Ghiselin & Groeben 2000, p. 273)としての経済学であり、人間のみに限定されない「普遍経済学」を指している。狭義の経済学は「政治経済学」、生物学は「自然経済学」として、普遍経済学の下位分野に位置づけられる。そうすると、生物経済学についての考察は、単に経済学の方法論に止まる話ではなく、生物学の本性をどう考えるかという問題にも深くかかわるということになる。それにもかかわらず、生物学の哲学のジャーナルで生物経済学をテーマとした論
文が掲載されることは滅多にない。(対照的に、社会生物学をテーマとした論文の数は膨大である。)生物経済学とはどのような学問なのか。それは、社会生物学よりも前に開始されたにもかかわらず、やはり「社会生物学の指し示す方向に従って」(Hirshleifer 1978, p.336)進んだ(進む)のだろうか。それともそれは、ネオ=ダーウィニズムとは異なる原理や方法論に導かれる「もうひとつの統合」の形を体現しているのだろうか。だとすれば、両者はどのような点で異なるのか。あるいは、生物学が経済学を吸収するのではなく、経済学が生物学を吸収する(「経済学の帝国主義」)のだろうか(Cf.Radnitzky & Bernholz 1987)。以上の問題の考察を通じて、学問分野の統合にとって重要なのは一方的な知見の応用ではなく、双方向的な知見の交流にあるということを示したい。
参考文献
Ghiselin, Michael T. 1974. The Economy of Nature and the Evolution of Sex.
University of California Press, Berkeley.
Ghiselin, Michael T. & Christiane Groeben. 2000. A bioeconomic perspective on the organization of the Naples Marine Station. Pp. 273-285 in M. T. Ghiselin & A. E.
Leviton (eds.) Cultures and Institutions of Natural History: Essays in the
History and Philosophy of Science. California Academy of Sciences, San
Francisco.
Hirshleifer, Jack. 1978. Natural economy versus political economy. Journal of Social and Biological Structures 1: 319-337.
Landa, Janet T. & Michael T. Ghiselin. 1999. The emerging discipline of
bioeconomics: Aims and scope of the Journal of Bioeconomics. Journal of
Bioeconomics 1: 5-12.
Radnitzky, Gerard & Peter Bernholz. 1987. (eds.). Economic Imperialism: The
Economic Method Applied Outside the Field of Economics. Paragon House, New
York.
Tullock, Gordon. 1971. The coal tit as a careful shopper. The American Naturalist 105: 77-80.
Wilson, Edward O. 1975. Sociobiology: The New Synthesis. Harvard University
Press, Cambridge. 『社会生物学』(合本版)、伊藤嘉昭監修、坂上昭一・粕谷英一・
宮井俊一・伊藤嘉昭・前川幸恵・郷采人・北村省一・巌佐庸・松本忠夫・羽田節子・松沢哲郎訳、新思索社、1999 年。
Wilson, Edward O. 1998. Consilience: The Unity of Knowledge. Alfred A. Knopf, New York. 『知の挑戦――科学的知性と文化的知性の統合』、山下篤子訳、角川書店、2002 年。