大学院生が我々の最大の顧客である「論理」

開講・受講者の許諾に関しては開講責任者の専権事項ですので、下記の私の意見があくまでも参考としてお聞きください。ちょっと書き言葉が硬質かもしれませんが、他意はありませんのでご了承ください。
(1)X先生の授業が、まず非常に人気のある授業科目であることをご自覚ください。つまり誰を優先するかというと、学則を改正してまで公式科目「CD科目」として開かれている 大学院生、つぎに学部生、社会人の順になるかと思います。
(2)授業の単位認定に関しては、大学院生受講水準がデフォルトになっているので(すべてフィクションであることを容認した上で)学部生は、受講資格相当の能力と情熱と事情――例:院に進学せずに卒業するがH大のX教授の授業を是非受けたい――などで、特別に認めることができるという原則を崩すと、「私に声をかけてくださった」という温情を期待することにもなりかねません。スター教授であるために、リスクもあることをお忘れなく。
(3)非公式的には(もぐりの学生を含めて)どなたでも受講できるというのが、CXCD科目の開講の動機に含まれている博愛理念だと思います。しかし(1)のように受講者が多くなると、このことを可能にするのは(A)受講し授業に積極的に参加することと、(B)受講に参加することに伴う単位認定ならびに成績評価と切り分けて考えることも必要かと思います。社会人の人はいくら積極的に参加し授業に貢献し修了証を保持していても、その後阪大に入って、事後的に修得単位認定はできません。(A)と(B)が社会人受講ではきちんと分離されているからです。
(4)学部生への開講との調整については、H大教養部との調整が必要で、学部生向けのX先生の授業なども考えてほしい気もしますが、やはり本務はCXCDでの職務ですので、余力があれば実践センター授業に協力するとならざるをえません。(本当に必要と実践センターが考えるのなら、X先生をヘッドハントするとか、演劇WS系の教員の求人を真剣にX先生に相談しに来てもよい頃だと思うのです)
(5)以上、境界領域における些末な認識論的警邏(けいら)のように思われるかもしれませんが、現在、高度教養教育に関するプログラムが本部のほうで策定中ですが、たぶんそこでも重要なことになるのは、学部の教養と、大学院生や専門家向けの高度教養の、区分とその両者の良好な関係についての理念をどのように提示できるのかということにかかっています。これらもまた、コミュニケーションデザインのひとつで、我々が大学のスタッフならびに部局として取り組まねばならない課題かと思います。