大衆動員や群衆の問題

mitzubishi2010-03-12

 アーレント全体主義の起源のなかに、大衆動員や群衆の問題を論じたところ(ソレルなどが頭に浮かぶが)に、全体主義は[心証とは逆に]個人主義をある程度強化するとも読めるところがあったな。言い得て妙。国民国家主義は、国民の自覚による「主体的参加」がやがて内面の強制力に化けるわけよ。
 国家にオペレートされた道徳企業家と宗教や小市民的なハビトゥス化された道徳企業家を区別することは難しい。仮に社会学政治学がそれを弁別する指標を立てたとしても(人類学や歴史学の皮肉屋の口上のように)現実には、その両者が容易に節合してしまう、その結節点がコミュニティというわけさ。
 つまりネオリベラル状況における「コミュニティの再生」や「ふるさと支援」などいう甘い言葉は、そういう無垢な[少なくともそう自覚する]大衆を動員するのに便利な用語――犬へのお手やお座りと同じ――ではあるが、もとはと言えば全体主義の大衆動員の十八番[おはこ]だったというのが種明かし。

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おまけ:
喧嘩は勝つ相手とやるのが鉄則。@先の敵をプロファイルして自分の瞬間攻撃力と戦闘持続力を考量して開戦かスルーを考えればいいよ。楽しい論争に発展することもあるからね。議論は相手しだいね〜♪