「税金」(impuesto)と呼び慣わしている恐喝

冠省
もしここが中米で、福音派プロテスタントがいたとします。
その信徒ならアルコールを公的なところで振る舞うことそのものを不道徳とみなし、そのような支出どころか、セレモニーそのものが悪魔的な集会ではないかと非難するでしょう。
もしここに日本の法律に詳しい人がいたとします。あるいは研究費などを使ってオフ会の宴会などなど運営について精通した人がいたとします。そういう人たちは、アルコール代は公的に負担できないので、受益者(現場でアルコールを消費することでパーティをエンジョイしたい人)の人たちにアルコール代の負担をお願いしてカンパを募り資金を調達することにする方法を説明して参加者の同意をとろうとするでしょう。私はパーティで酒を飲みたい時、こういう方法はきわめて適切であると考えます。
しかしながら今般の方法は少し違うようですね。◎◎長がどのような思考方法で、このような専任教員一律で資金を調達されようとしたのかはよくわかりませんが、ヤクザのシノギのような一律徴収という方法には、私は承伏しかねますので、この件に関しては軽微と言えようとも一切支払いたくありません。このことは中米の麻薬ディーラーなどのゴロツキどもが、都会のスラムで繰り広げている、人びとへの恐喝により徴収を「税金」(impuesto)と呼び慣わしている名称を想起させます。
また、このような資金調達の方法は、私の個人的信条に照らして、フェアな方法とは考えませんので、セレモニーでの飲酒どころかセレモニーへの出席も辞退いたしたいと存じます。
不一
扁桃腺を摘出して、きわめて惨めな気分でイブリン療養所に入院しておりました。 ウィトゲンシュタインが訪ねて参りましたので、わたしはこううめきました。 「まるで車にひかれた犬みたいな気分だわ」。するとかれは露骨にいやな顔をしました。 「きみは車にひかれた犬の気分なんか知らないだろう。」(『ウンコな議論』p.21)[→ディスコミュニケーションの定義と理論