病んだ経験と癒す経験は相補的なもの

mitzubishi2009-09-08

先日は、どうも変なメールを突然おくりつけてすみません。垂水源之介@メキシコ・シティーです。
 そうなんです。5日ほどでようやく時差ぼけがなおって調子がよくなってきました。
 23日まで滞在して24日から米国のエール大学でアメリカ医療人類学会創設50周年記念大会に出席します。
 昨日、国立人類学図書館(といっても数万冊しかないしょぼいもの)で1984年に出版された、メキシコの医学史の論文集の古代医学編を読んでいて、あのころ(ちょうど私が海援隊ホンジュラスに出かけた頃)、ラテンアメリカでも医療人類学に対する熱気があったことを思い出しました。
 しかしエンハンスメントという奇妙な先端医学や高齢化にともなう福祉システムの崩壊などで、医療のイメージは大きく変貌し、四半世紀ほど前みたいに「医療は文化だ」などという呑気なことを言っている場合ではなくなってきました。今月末に帰国したら、昔、◎◎先生が執筆されたEEEBBBの日本版(電子版でしか提供されていないそうですが)の「医学」の項目の書き換え(=加筆修正)をします。その時には、またいろいろ相談に乗ってください。
 今年度のみですが、ZZZ大学などのある医療教育プログラムの◎◎委員長を務めています。そのメンバーの一人が「医学教育において患者が教授しないのはおかしい」とおっしゃっていましたが、まさに慧眼ですね。シャーマンになる人は、その前に、大きな病気を経験すると言います。病んだ経験と癒す経験は、相補的なもので、根っこでは繋がっているので、ございます。