咸臨丸の思い出

大阪大学をサンフランシスコで有名するためのパーティネタをひとつ。
ゴールデンゲートを望むリージョン・オブ・オナー美術館からみて左ななめ前に「咸臨丸入港記念碑」があります。これは万延元年(1860)にサンフランシスコ(桑)港に勝海舟一行を乗せた船の入港の100年周年を記念するものです。石碑の揮毫したのは当時の大阪市長・中井光次です。咸臨丸の勝海舟に同行したのが木村摂津守(当時の軍艦奉行)や福沢諭吉です。福沢諭吉の出身は豊前国中津藩ですが、ご存じのように適塾のもっとも優秀な出身者で蘭学者=医学者つまり、阪大の前進の学校で学んだ医学者=科学者であったというわけです。というわけで、19世紀の中頃にベイエリアでもっとも最初に上陸した日本の科学者は、阪大の前進の塾(アカデミー)出身者だったというと、西海岸の学者も大阪や阪大のことにより関心をもってくれるのではないでしょうか。