言語論的転回(Linguistic turn)

ウィキからの引用と議論ですよ:
言語論的転回(Linguistic turn)の命名者はリチャード・ローティで、彼が「1967年に編集した Linguistic Turn. Recent Essays in Philosophical Method [Rorty 1967] というアンソロジーでポピュラーになった」という。
・ローティには「ヴィトゲンシュタインと言語論的転回」という論文があり、生涯最後の論集『文化政治としての哲学』に収載されている。

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1)重要なテーゼ:「言語は思考の透明な媒体でない」(第一命題)
2)第一命題から引き出される審問01:「言語と思考の関係は、いったいどのようなものか?」
3)第一命題から引き出される審問02:「透明な媒体とはなにか?」(言語は思考の「完璧な反映」を意味するのか?)
4)第一命題から引き出される審問02:「言語は思考の不透明な媒体である/かも知れない」と言えば、意味が通るのか?
5)このテーゼを初期に考えた人たち:ヨハン・ゲオルク・ハーマンやヴィルヘルム・フォン・フンボルトの仕事に始まる言語哲学
6)それとは異なる伝統において、この問題を取り上げた人:ウィトゲンシュタイン(ただし、前期と後期の思想=考え方の癖の相違点に留意せよ)
7)言語論的転回に決定的な影響を与えた人:ソシュール(ただし、ウィトゲンシュタインとは接点を持ち難い)

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ちなみ、ローティのもっとも重要な仕事は『哲学と自然の鏡』でその意義はウィキのローティの解説では「ローティの著作『哲学と自然の鏡』では近代哲学に一貫して見られる伝統に注目している。それはデカルトに始まりカントによって体系化された哲学における認識論の伝統であり、それは真理に到達するために依拠できる確実な知的基礎を確立するための試みであった。そしてハイデガーウィトゲンシュタイン、デューイ、フーコークワインなどの現代の哲学者による攻撃はこの認識論的な哲学の伝統に対する批判であったと考える。そしてローティは近代哲学の認識論的な伝統を批判することは必ずしもそれを克服することではないことを問題視し、そのような伝統に基づいた哲学については「哲学の終焉」を主張」したとされている。

Rorty, Richard, Philosophy and the Mirror of Nature, (Princeton University Press, 1979)野家啓一監訳 『哲学と自然の鏡』(産業図書, 1993年)
Rorty, Richard, ed., 1967, The linguistic turn: Recent essays in philosophical method, Chicago, Il.: University of Chicago press