靖國にコピーライトなし

mitzubishi2006-04-10

上野にある国立科学博物館の地下に、日本の物理学の発展に関する、地味だが興味深い企画展がある。現在は、湯川秀樹朝永振一郎の回顧展である。彼らの論文の下書きやノートなどがみれる。そこではっと気がついたのだが、戦前湯川は、靖国丸に乗って昭和14年(1939)にドイツから帰国する。その船がまさに「靖国丸」。日本郵船のこの船は戦争に徴用されて1944年に魚雷を受けて沈没する。ヤスクニと言えば、ジンジャと応えてしまう「反射」は日本の国家イデオロギーの産物で、これは靖国神社を批判するものも、そのイデオロギーにひきづられて「反射」してしまう。これはよくない。靖国丸にみられるように、靖国(せいこく、とも言うらしい)は優雅な形容詞(国安らかな状態)なのである。そして、ふつうの日本語である。靖国をジンジャと結びつけて考える思考法から、両方を分離独立させることが重要。ようするに靖国にコピーライトなし。みんなもっと勝手に靖国の名を汎用すべし。もちろん神道も、神社本庁だけが神社ではない。神社の国家領有の歴史をきちんと総括できないところに、神社をとりまとめる権利なし。ただし、それぞれの神社は寛容の精神をもって、他の神社を「その資格無し」という理由で排除はしなかったはずだ。靖国もまた同じ。国家領有の神社の歴史をもう一度もとにもどして神社と靖国の概念を巻き戻すことが重要なのだ。
靖國神社観光論
http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/030214llasukuni.html